キウイ棚を直しながら、歴史に感謝
ギャラリー夢酔庵の横にあるキウイが樹齢30年くらいになり弱ってきました
それと同時にキウイ棚も腐って崩れるところも多くなってきたため新芽を育て棚も頑丈に作りかえることにしました
現在ギャラリーを建てている土地は元々堂野一統の本家があった屋敷です
ギャラリーは現在自宅と地続きの北側になりますが、我が家は分家の分家くらいになり
最初は今の自宅の東に建っていたと聞いています…その名残として今も使ってる374番地は東の土地の番地です
明治9年版の村地図写しから当時の地割を推測することが出来ます
我が記憶に残る幼少期、本家が我が家の裏にあり本家は住居家屋と直角に納屋が建っていました
寺の過去帳でかなり古い歴史と聞いていますが自分で確かめてないので詳しくは知りません
どんな経緯で我が家が東から今の位置に変わったのかも今となっては分りません
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| 明治9年版・段の上村地図(写しより) |
この本家を中心に段の上村に堂野一統が7〜8軒あったようで、近畿圏の堂野姓は段の上出身者で分家などされた家と聞いています
昭和50年頃の台風で栗栖川が氾濫し河川改修が行われるまで河原墓地に堂野一統の墓はこんもり木に囲まれていました
そんな本家ですが終戦後の混乱期に世の中が浮沈の荒波に晒される中で一家破産になり一族離散となりました
沢山あったはずの土地も様々の人手に渡りましたが自宅のあった屋敷は奥まった昔の一等地ですが大八車が入る道しかなく
我が家の地続きであったこともあり我が父が買う事になりました…私が小学校の頃でした
その後、古い家や納屋は取り壊し我が家はここを長年畑として使ってきました
その後、隣接の東にあった堂野家が家を売って段の上を出られるなど、現在では段の上の堂野姓は3軒になっています
寂しくもありますがこれも世の習い…いまや日本の何処も過疎化や少子化の波に晒されています
我が小学生の頃は沢山の子供が居てアチコチの家の庭先に集まり遊びまわっていました…堂野本家の庭先もかって子供の歓声が響いていた場所です
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| 昭和49年6月の田植え風景…西の河原土手にコンモリとした一角がありました |
昭和35年頃の本家跡 |
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| 昭和38年正月の雪景色にみる本家跡・納屋の北端に父が作った鳥小屋は今も健在で「鳥小屋」と呼んでいます |
我が父は休みの日に納屋跡に鳥小屋を自前で立てたり、その前をブドウ園にしたり器用な一面を見せてくれました
私は手伝いながら鋸、釘打ち、など自作する事に興味を覚えました
母は花作りや畑作に自前の粘り強さと研究心でコツコツ精を出し「百姓は根気が大切…」といつも言って聞かせてくれました
しかし父も母も明治人間、努力や根気や誠実さにおいては一級品だったと今も尊敬していますが
機械音痴でコツコツ自分の肉体を使ってする百姓仕事も昔ながらの方法しか出来ずに昭和30年代から始まった機械導入はしませんでした
だから耕運機、籾摺りなどは機械化の進んだ人に頼んでいました
我輩は機械好き…卒業後は父母を助けようと徐々に機械化を進め他家に頼る事はなくなりましたが百姓のノウハウは知らないままでした
結局、農作業は自然との闘い…肥料や除草など少しのタイミングのづれでも収穫は半減する事を知りました
しかし会社の仕事が多忙になり百姓は二の次の次…周辺で一番になって進めた機械化ですが東京赴任などで結局は断念する事になってしまいました
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| 昭和50年1月・大雪の鳥小屋前で祖父母と長男次男 |
昭和57年・本家跡に建てた農具舎前は子供の遊び場に |
我輩は沢山の農地を先祖から受け継ぎながら農業には何の成果も得ないまま総ての農具も無償で親戚や知人に譲りました
田は親戚に作ってもらっていましたが老いと共に断られるようになり草ばかりの田になっていました
そんな折、家の前の休耕田を老人会のグランドゴルフ場として貸して欲しいと頼まれ、現在無償貸与で喜んでもらっています
更に三男が卒業して帰省後から農業もやると言い、残っていた田を見よう見まねで失敗を重ねながら始めました
我輩自身が挫折した農業ですから彼に何のアドバイスも出来ませんが、毎年豊作を祈っています
最近は随分ノウハウが出来てきたように見えますが先輩諸氏の話では農業は何年やっても失敗がつきもの…反省の連続だそうです
そして我が人生最大の転機になった画業転身の翌年…平成9年に退職金を総てつぎ込んだギャラリーを建てる事になり
本家跡の農具舎を撤去し屋敷地目のまま残してあった場所を活用する日がきました
どのような縁でこの世に生を受けたのかは分りませんし、先祖がどうしてこの地に住み着いたのかも分りません
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| 昭和60年頃・ブドウをキウイに植え替え棚を造りました |
平成9年・ギャラリー竣工で農具舎の撤去 |
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| 堂野本家跡をギャラリーとして活用させてもらうことにしました |
平成24年・鳥小屋前のキウイ棚を長男と付け替えました |
自分の知っているのは両親から聞いた話や幼い頃からの思い出…そして残されている資料から足跡を辿ること位です
古くなり壊れかけたキウイ棚を手直ししながら、今を大切にすることが 後世への伝承と思いました
因果の程は分らずとも労働を通し先祖への感謝が沸々しました
合掌
ほのぼの夢酔